おかげさまで弊社は、2018年に創業100周年を迎えました。創業後、幾多の苦難を乗り越え、1957年に現在の田中鉄工株式会社になりました。これもひとえにステークホルダーの皆様の温かいご支援とご愛顧の賜物と深く感謝申し上げます。
これからも主力製品であるアスファルトプラントに傾注し、道路会社様に活用して頂く事により、道路というインフラ整備の一助としての弊社の役割を常に心に留め、強い責任感と情熱を持って日々取組んでまいります。「お客様に支持される企業」「いきいきと働ける企業」をめざしてまいります。
代表取締役社長 末吉 文晴
大正7年 | 田中鉄工所として福岡県久留米市荘島町に鍛造、製缶工場を創設。主として炭鉱設備、およびゴム工業用諸機器の部品製作・修理に従事。 |
昭和17年 | 戦災により設備を焼失し終戦と同時に解散。 |
昭和21年 | 再び荘島町に製缶・鍛造・機械工場を新設し、田中製作所として発足。ゴム工業用機器の他、鉄骨鉄塔、荷役機器の分野に進出。 |
昭和27年 | アスファルトプラントを主とした建設機械の分野に進出。 |
昭和32年 | 組織を法人に改め田中鉄工株式会社(資本金200万円)となる。 福岡県久留米市合川町に工場を新設。機械設備の増設・拡充。 荷役、建設機械器具の設計・製作に専従。 |
昭和34年 | 増資により資本金600万円となる。 |
昭和38年 | 名古屋営業所を新設。増資により資本金1800万円となる。 インドネシア事業省を始め、東南アジア諸国へ多くの製品を輸出する。 |
昭和30年代 | SAT型プラント販売 特徴:骨材の篩い分けがトロンメル式、集塵装置も簡易的なもの。 |
昭和40年 | インドネシア共和国ジャカルタ市に駐在所を置く。大阪営業所を開設。 |
昭和41年 | 東京営業所を開設、東京工場のアスファルトプラント大型機種組立工場を拡張。増資により資本金2400万円となる。 |
昭和42年 | 札幌営業所を開設。 増資により資本金2800万円となる。 |
昭和43年 | 増資により資本金3300万円となる。 |
昭和44年 | 福山営業所を開設。増資により資本金4000万円となる。 |
昭和45年 | アスパックマイコン制御操作盤の販売。 |
昭和46年 | 増資により資本金4800万円となる。 |
昭和47年 | 仙台営業所を開設。 |
昭和48年 | 佐賀県三養基郡基山町に本社工場を新設。同年10月に操業開始。 |
昭和40年代 | FAV型プラント販売 特徴:篩い分けが振動篩に、計量装置も自動計量となった。 |
昭和50年 | 北陸出張所を開設 |
昭和51年 | 増資により資本金7000万円となる。 |
昭和54年 | シンガポールに事務所を設置。 |
昭和55年 | 高知出張所を開設。秋田出張所を開設。 |
昭和56年 | 増資により資本金9000万円となる。バッチャープラント分野に進出。 |
昭和57年 | 田中グループ統一シンボルマークを採用。 高知出張所から四国営業所に呼称を改める。 |
昭和60年 | サービスセンターを茨城県つくば市に建設。 PUCスピリット販売 |
昭和61年 | ASPUC-Eシリーズ販売 |
平成元年 | ASPUC優2001販売 |
平成2年 | 細川譲熙熊本県知事より弊社設計製作のバッチャープラントが景観賞を受賞。 |
平成4年 | ASPUC優プラス販売 |
平成5年 | つくばサービスセンター完成。 ハーフドライ販売 |
平成8年 | 東京営業部を開設する。 |
平成10年 | 大阪営業所から関西支店に呼称を改める。 |
平成10年以降 | 都市型プラントの改良型販売 |
平成11年 | 本社工場<ISO9001>認証取得。 |
平成14年 | 盛岡駐在所を開設する。 ASPUC-FACE販売 |
平成16年 | 北京田中鉄工機械設備有限公司、上海基山田中機械設備有限公司を中国に設立。 |
平成17年 | 九州営業所から九州支店に呼称を改める。 |
平成18年 | つくばサービスセンターから関東支店に呼称を改める。 |
平成19年 | 横浜サービスステーションを開設。 |
平成20年 | 東京営業部から営業本部に、盛岡駐在所から盛岡サービスステーションに呼称を改める。 |
平成25年 | 本社工場改装に伴う工場設備(レーザ加工機・旋盤機)の更新。 |
平成26年 | 仙台サービスステーションを開設。 |
平成28年 | 新製品”スマートAP”の完成。 |